ワールドメイトのいう3千年に一度の大神人とはⅡ
ふたたび「3千年に一度の大神人」とは (1)
『ワールドメイト陳述書①』で詳述された内容に対し、Nさんは誤った根拠をあげて反論しましたが、ワールドメイト陳述書③で、またも明解に否定されています。
==========以下、引用==========
Nさんは、深見教祖が、「自分は神である」と公言しているとして、いくつかの例を挙げていますが、その解釈は本質を離れており、「断章取義」の謗りを免れません。
この点については、私は、先の陳述書で詳しく述べましたので、当教団の基本的な考え方はそちらを参照して下されば幸いです。今般の陳述書で、Nさんが展開する議論は、それらを覆すにいたっておらず、「断章取義」による勝手な解釈以外の何物でもありません。
(ワールドメイト陳述書③ 18~19頁)
Nさんは51頁11行目〜16行目に、「弥栄の儀」の小冊子の記述を挙げ、「ちゃんと深見のことを『日本から表れる真正の救世主』と書いているではありませんか」と述べています。
しかし、先般の陳述書でも述べましたとおり、当教団においては「世界の平和のために祈るすべての人」が救世主なのであって、深見教祖もその一人であることはむしろ当然です。しかも、この小冊子の引用部分にはこうあります。
「現実界にスの大神様の大御稜威と御働きを顕現し…(略)…日本から表れる真正の救世主として世に顕現し…」
このように、深見教祖は「スの大神様や○○の神の働きを世に顕現させる」働きをする旨明確に記してあり、深見教祖が神だとか、だから崇めよなどとは書いてありません。この点については、当教団の根本的な教義体系と密接に関係しますので、以下少々の解説を述べさせていただきます。
(ワールドメイト陳述書③ 19頁)
==========引用終わり==========
要するに、深見先生は、「神の働きを世に顕現させる」働きをしているということで、神そのものであるなどとか、崇めよなどとはどこにも書いていません。これを、ワールドメイトでは、「神様のお取り次ぎをさせていただく」と呼んでいます。私たちワールドメイト会員は、深見先生を先達として祈り向かい、「神様のお取り次ぎをさせていただく」役を行じていると言えます。
これは、ワールドメイトの教義の一つ「神を行ずる」という実践的な研鑽を行うということです。
神様のお取り次ぎをさせて頂くのは、深見先生だけでなく、ワールドメイト会員で発願した人みんなを指します。深見先生だけが救世主だとか、そんな話はどこにもないのに、Nさんはあえて話をねじ曲げて書いているのです。
ふたたび「3千年に一度の大神人」とは (2)
ワールドメイト側は詳しく解説をします。
==========以下、引用==========
神霊界は現実界と別次元にあります。もちろん、ご神霊が直接現実界の天候気象を左右したり、様々な奇跡を現出することもあります。しかしながら、現実界の主はあくまで人間であり、自らの意思を持った人間が、自らの努力でより素晴らしい社会を構築し、神の世界に近い理想郷のような世界を作ることを望まれているとされます。ご神霊が、奇跡を現出するのは、人間に神の存在を知らせたり、その意思を伝える時など、最低限の場合に限られているのです。
だからこそ、人類は自らの手で努力し、葛藤しながらも向上を続け、やがて神の如き素晴らしい存在に進歩していくのです。そして、人類は将来、「ミロクの世」という理想的な世界を建設する、というのが、先述の「3千年の神仕組」の大要であることは、先の陳述書でもご説明した通りです。
もし絶対神が現実界にあらわれ、その絶対権を行使して、奇跡を際限なく起こしてよいというのであれば、世界中の核兵器や武器、病気の原因や、犯罪の原因など、一瞬のうちに消滅させ、宇宙空間の藻屑にすれば足りるではありませんか。しかし、神様がそうなさらないのは、根気よく、辛抱強く人類を育て、自ら改心して、自ら向上し、自らの意思と努力によって理想郷を作るのを待っておられるからなのです。なぜなら、神とは大宇宙に遍く満ちる大元霊であり、人間は、その神の一部であり、また神の分魂(わけみたま)をもつ、天地経綸の主宰者であると定義し、それ故、神人合一して無限の神徳や神権を発揮する存在であると位置づけるからです。また、天地自然の法則や天地自然の律法を、大宇宙の造物主が一旦定めた以上、主神と神々自らも、そのあり方に添って、全てを進められるのです。「3千年の神仕組」といったドラマを用意された理由も、そこにあると捉えています。
(ワールドメイト陳述書③ 19~20頁)
==========引用終わり==========
ワールドメイトは、ワールドメイトの会員がみな、信仰心に基づいてそれぞれが努力をし、周囲の人々や社会に善なる影響を与えるような人格となるように、ということを目指していると思います。つまり、会員一人ひとりが、無限の神の神徳を、日常の生活において取り次ぐ人物になるような生き方をしようということです。
もし、深見先生ただお一人が神であったり、神様の取次者であったとしたら、会員は、単に、功徳を受ける側であり受動的な立場となります。しかし、ワールドメイト会員は、深見先生とともに、神事を支え、神に祈りを捧げ、神の取次をそれぞれの立場で行うことを発願しています。
厳密に言うと、ワールドメイトは自由ですから、会員のなかでも、神の取次者たらんと熱心に活動をする人もいれば、とくに活動をしない自由もあります。Nさんは、支部のコミッティーであったということですから、「奉仕者は神の取次者である」という話を、それこそ何度も聞いたことがあるはずですし、みなが救世主であるという話も、当然聞いているはずなのです。
ふたたび「3千年に一度の大神人」とは (3)
さらに続きます。ワールドメイトの教義の核心部分です。
==========以下、引用==========
もちろん、こうしたドラマの背景には、そうあって欲しいという神々の願いがあります。人類が進歩向上し、恒久平和を確立し、皆が幸福に繁栄して暮らせる理想郷を建設して欲しい、という神々の願いがあるからこそ、「3千年の神仕組」が用意されているのです。
だからこそ、人間は現実界における、神の意思の代行者なのです。神の意思を代行するものであり、神の働きを顕現するものなのです。
神の意思をよく受け、自分自身の御魂を磨き、現実的にも努力して、人間として進歩向上し、あたかも地上に神が顕現したかのごとく、神の働きを代行する。このプロセスを、当教団では「神人合一の道」と呼び、あらゆる教義の中で根源中の根源と位置づけているのです。
(ワールドメイト陳述書③ 20頁)
だからこそ、「○○神の働きを顕現する」という表現になるのです。教祖を含む人間は神ではない。しかし、神の意思を受け、謙虚に努力し己を磨けば、神の働きを顕現し、代行することができる。「神人合一」するとは、その過程をいうのです。だからこそ、当教団では、金光教で言う如く「神のお取次ぎ」といいます。神道においては、神社の宮司は神霊と崇敬者との間の、「仲取り持ち」をする存在として捉えていますが、それと趣きを同じくするものです。
もちろん、有限の存在である人間ですから、自分が向上したぶん、自分の許容量のぶんしか、神の働きは代行できません。教祖が会員に範を示し、超人的な努力を続け、学問、芸術、宗教、福祉、経営など、あらゆる分野で自分を磨き続けているのは、まさにそのためです。少しでも進歩し、少しでも神に近づき、少しでも多く神の意思とみ働きを、この世に顕現させるプロセスを示すのが、教祖の今世生まれた使命のひとつと考えられています。そのために、人生のすべてを投げ打って、この道にかけ、寸暇を惜しんで精進を続けておられるのです。無論、どこまで精進しても、神々には勝てません。また、傲慢は神の嫌うところですから、どこまで極めても、どんなに評価され、権限を持たされ、年月を経ても謙虚に、生涯、一人の求道者としての道を貫かれているのです。
(ワールドメイト陳述書③ 20~21頁)
==========引用終わり==========
深見先生が、常に謙虚で勉強熱心で努力をされているのは、会員の知るところです。およそ、Nさんが記すイメージとは全く違っています。ですから、会員は深見先生を尊敬すると共に慕っているのです。常に勉強し、求道の道を歩んでおられるのが深見先生だから、会員も見習って精進しようと思うのです。
ワールドメイトでは、深見先生だけではなく、謙虚に己を磨き、神の働きを権限して代行しようと発願する会員は、神と人との「仲取り持ち」をすると考え、「神のお取り次ぎ」と呼んでいます。
もちろんその人の許容量のぶんしか、神の働きの代行は出来ませんので、お取り次ぎの大きさや深さは、人によってまちまちです。しかし、一人の求道者として道を貫こうという志のある会員は、「神人合一」の道を歩んでいると位置づけているのです。
ふたたび「3千年に一度の大神人」とは (4)
そして結論です。
==========以下、引用==========
この教祖の使命と、それにしたがった生き様を、「スの大神さまの顕現」「国常立大神様の顕現」と表現しているのが、Nさんが引用した冊子の文言です。
「神仕組」「神人合一の道」「神のお取次ぎ」という、当教団で頻繁に使われる、基本中の基本となる概念を通してみれば、これらの言葉の意味がよくわかることと存じます。
人間は神ではない。ですが、神の分魂を持ち、神に天地経綸の主宰者としての、嘱託を受けている存在なのです。キリスト教で定義するように、「人間は原罪をもつ罪人」として捉えるのではなく、また、仏教で言うように、「因縁因果の法にしばられて、悟りを開くまでは、無明の闇に生きる存在である。」とも考えません。因縁因果の法は認めていますが、根本的に人間をもっと明るく、神に近い存在として積極的に定義し、評価しているのです。これが、神道の神観や人間観に根ざした、当教団の明るく前向きな教義の体系の本にあるものです。だから、神の御心に沿うように祈りを続け、努力と精進を積み重ねることによって、神に近づき、神の意思を代行し、この世に神の働きを顕現できると考えるのです。「神は伽藍に降りず」というのも、当教団の根本教義のひとつですが、神はお取次ぎをする人間のもとに降りるのです。また、人間が誠を結集する無形の霊的空間(これを斎庭〔ゆにわ〕と呼ぶ)に、降りるのです。これが「神人合一の道」であり、神事を行う意義であり、「神のお取次ぎをする」ことの真意なのです。
無論、教祖も神ではなく人間です。だからこそ、絶叫するような祈りを続けて人々の幸せを祈り、精進を続けて神に近づかんとされるのです。「3千年に一度の大神人」というのは、こうしたプロセスを経て、常に神の意思と働きを顕現する稀有の人物であることを指します。決して、「3千年に一度の『神』の降臨」などではありませんし、そのようなことを一言も当教団は述べていません。
逆にNさんのいうごとく、「教祖は神」とされるならば、深見教祖のこうした努力の意味がまったく説明できません。また、神事の際に、祈りの誠を結集し、あらん限りの努力を神に捧げることで、本物の大神霊を動かし、その働きを顕現させるよう、全会員に呼びかける意味がまったく説明できないではありませんか。
「教祖は神」ではないからこそ、会員らのリーダーとなり、先達となって、人々の祈りと努力を結集して神に捧げるのです。先の陳述書から繰り返し述べている「3千年の神仕組」や「3千年に一度の大神人」という概念の意味は、このように当教団の根本的な教学体系の中で、論理的にも一切揺るがずに一貫しているものです
(ワールドメイト陳述書③ 21~22頁)
==========引用終わり==========
Nさんの記述がワールドメイトの考え方とは全く違っているということを、理解していただけると思います。「教祖は神」ではないからこそ、会員らのリーダーとなり、先達となって、謙虚に神のお取り次ぎをさせていただく。それが深見先生の立場です。そして先達とともに、神のお取り次ぎをさせて頂こうと発願し、共に祈る会員も救世主(メシア)であるのです。
ふたたび「3千年に一度の大神人」とは (5)
だからこそ、ワールドメイトは「世界の平和のために祈る、すべての人が救世主である」と断言するのです。
==========以下、引用==========
ならばこそ、こうしたことを理解し、神の意思と働きを取り次ぐべく、祈りと努力を重ねるすべての人が、神を顕現させることができるのです。当教団には、「神人合一の神法とそれを実行成就させる神徳や、神霊空間である『神人合一の道』」が降ろされていますから、その道を歩むすべての会員に、神を取り次ぐことができる可能性があるのです。この道を貫く深見教祖に神が降りるごとく、すべての会員に神が降り、神を取り次ぐことができる可能性が説かれているのです。
だからこそ、「世界の平和のために祈る、すべての人が救世主である」というコンセプトが出てくるのです。Nさんはこれについて、「形式的にそのような発言をすることはありますが、それはワールドメイトの神事に参加させるための手段でしかありません」(51頁20行目〜22行目)と、極めて偏った見方しかしていませんが、このコンセプトは、当教団の根本的教義から導き出された論理的結論であり、神霊界における事実でもあるのです。こうした教学概念は、教団が設立された当初から、折に触れて強く打ち出されており、教団草創期から10年ほどは、今日のような形の「神事」は行われていませんでした。冷静に考えて、今日のような形の神事が何もないころから力説している教学体系を、「後になって、金儲けに必要だからでっち上げた」といったことが、あろうはずがありません。
当教団の根本的な主張や、Nさんに都合の悪い実際の話を、このように根拠なく「形式的」と切って捨てて行けば、いくらでもNさんに都合の良い妄論の展開が広がっていくことでしょう。しかし、こうしたNさんの主張が、どこまで行っても根拠なき妄論に過ぎないのは自明であり、当教団の実際の活動と、全くかけ離れた中傷に過ぎない事も明らかです。
(ワールドメイト陳述書③ 22頁)
==========引用終わり==========
ワールドメイトの会員は、深見先生とともに神事を支えさせて頂こうと思い、誠の結集をして祈りを捧げさせて頂いております。一人だけの祈りは小さくても、大勢の志を同じくする人々で祈りを捧げると、それだけたくさんの神徳が顕現することを知っているのです。ですから、ワールドメイトでは、誰でも参加できるように、御志ご随意とか、衛星参加としても数千円以上ご随意で、気軽に神事に参加できるようになっています。これが、お金儲けとは全く逆のスタイルであることは、容易に分かることですし、既にるる書いたことなので、詳細は省きます。
ふたたび「3千年に一度の大神人」とは (6)
ここで、またひとつ大事なポイントが解説されます。
==========以下、引用==========
ついでながら、さらに詳しく当教団の教えに即して記させていただきます。人間は生まれ変わり、死に変わりしながら、魂の修行を続けるわけですが、約16万年以上昔は、すべての人が、肉体を持ちながら神の位に居たと当教団では捉えています。これは、深見教祖の著作『大除霊』に記されているほか、当教団では折にふれて述べられていることです。
だからこそ、Nさんが引用したメルマガに、「深見東州が35万年前の国常立大神の肉体を持った再来であり」といった表現が出てくるのです。こうした神位の前世を持っていることは、何も教祖に限らず、すべての人に共通する神霊的事実である旨教えており、Nさんの主張は、当教団の教えを理解していないか、知っていても、あえて曲解した悪質な言いがかりと言う他ありません。
誰しも魂の系譜の元の元を辿ると、太古、神の世であったころに行き着きます。神人合一して神を取り次ぐのは、御魂の根源である元の元の神霊の働きを取り次ぐという意味も大きいのです。だから当教団では、その人の御魂の根源となる大神霊を取り次ぐ秘儀も降ろされているのです。これは、会員のすべてを対象に行われるものであり、ひとり教祖だけが神の生まれ変わりであるのなら、このようなことが行われるはずがありません。
(ワールドメイト陳述書③ 22~23頁)
当教団に、前述の如く「神人合一の道」が降ろされているからこそ、このような信仰体系が成立しているのです。だからこそ、この道が尊く有り難いものであり、会員はしっかりと社会性を大切にして、謙虚に努力を続け、励んでいるのです。
しかしながら、人は千差万別ですから、中にはNさんのように曲解し、「教祖が神である」などと勘違いをする人物が出てくる恐れもあります。だから、先の陳述書で述べたように、「人間信仰になってはいけない」「教祖信仰になってはいけない」「自分は神ではない」といった発言を、それこそ何千回と、講話のたびに深見教祖は述べているのです。
(ワールドメイト陳述書③ 23頁)
==========引用終わり==========
まさに、ワールドメイト陳述書にある通りだと思います。ワールドメイトでは、人は誰でも太古、神の位にいたという神霊的事実が明かされています。そして神人合一の教えに触れ、発願し、精進努力をしていくにつれ、菩薩の位、如来の位、神の位…ど、太古の魂の根源である元の神霊にかえっていく魂の修行を、会員一人ひとりが歩んでいるのです。
ふたたび「3千年に一度の大神人」とは (7)
また、Nさんの陳述書の内容の食い違いが、ここでも鋭く指摘されます。
==========以下、引用==========
Nさんは、53頁12行目には「もちろんそんな発言はありません」と述べ、た、55頁18行目〜19行目には「深見が『教祖信仰になるな』と発言していることは事実ですが」と、支離滅裂な記述をしています。このことから、Nさんが陳述書内で、当方の主張を否定し「そんな発言はない」などと言っているのは、特に根拠があるわけではなく、場当たり的に、とりあえず否定しているに過ぎないことが明らかです。
(ワールドメイト陳述書③ 23頁)
Nさんは、「結局は金儲けのため」に「皆がメシアである」といっているとか、「会員が落胆するような教祖の行状を隠蔽するため」に、「教祖信仰になるなといっている」など、滔々と勝手なストーリーを構築しています。それら勝手な空想のために、膨大な紙幅を費やした割には、その根拠となるのは、深見教祖らの片言隻句の抜粋にしか過ぎません。これを「断章取義」というのです。
(ワールドメイト陳述書③ 23~24頁)
==========引用終わり==========
まさにその通り。Nさんの陳述書は、ある箇所では、深見先生は「教祖信仰になるな」などと発言してない、と述べています。ところがある箇所では、「深見が『教祖信仰になるな』と発言していることは事実」と、まったく矛盾した記述をしているのです。
つまりこれは、Nさんが、ワールドメイトの教えを知っているにもかかわらず、歪曲した結論にもっていくために、あえて無視してストーリーを作り出そうとしたとしか思えません。もともと、歪曲させているわけですから、ここかしこで矛盾した発言が出てくるのは、Nさんの陳述書の特徴とも言えるでしょう。